- 石応禅寺の歴史
- 曹洞宗の寺院・明峰山石応禅寺は寛文5(1665)年、釜石を訪れた長安林存和尚が、軽米出身の小軽米左京之介の寄進を得て開創しました。
当初寺院が建立されたのは狐崎腰懸岩付近(現在の浜町)でしたが、数度の火災で被災。明治16年の大火を受けて全焼した後、明治26年、現在寺が建つ大只越町に場所を移し、十五世・中興智賢和尚が再建に着手しました。
明治26年に始まった寺の再建が、鐘楼堂落成の完成までに費やした時間は実に40有余年。大正11年4月、東北有数の仏閣を持つ寺院として再興を果たしました。
昭和52年に安置されたご本尊・釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩は、大東町の京仏師・佐久間白雲の作。寺院建築の棟梁を務めたのは花巻市の宮大工・南館喜六で、その一生を石応禅寺再建に捧げました。
- 釜石大観音建立への思い
- 十七世・雲汀晴朗和尚は、昭和40年、境内に無縁仏を供養する多宝塔を建立しました。供養を終え安心していたある日、和尚は霊夢のなかで、無数の無縁仏より観音様の建立を催促されます。和尚は走馬灯のように周囲を回転する仏達と、観音様の建立を約束したのだといいます。
明治29年6月の三陸大津浪、戦時中の2回にわたる大空襲で多くの犠牲者を出した釜石市。そんなこの地の歴史も踏まえ、幽明両界の苦悩する人々を救い、皆の幸せと世界平和を念願とし、大観音は建立されました。
- 石応禅寺本堂
- 40有余年の時をかけ、南館喜六を棟梁に建築。見事な欄間彫刻など、往時の優れた建築技術を今も見ることができます。
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- 石応禅寺本尊・釈迦三尊像
- 釈迦如来(中央)、文殊菩薩(左)、普賢菩薩(右)大東町の京仏師・佐久間白雲作。昭和52年に安置。
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- 無縁多宝塔
- 津波や戦争による犠牲者、水子の霊、縁故者のない無縁霊などを合祀。地下にご遺骨を安置しています。昭和40年8月落成。
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- 多宝塔聖観音
- 仏師・佐久間白雲の100体目となる観音で、「平和観音」と称します。無縁多宝塔のご本尊として昭和40年8月に安置されました。
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- 山 門
- 大正6年、十五世・智賢大和尚が建立。上野不忍池にある弁天様の門を参考に建築されました。銅版葺で、上階に十六羅漢像(非公開)を祀ります。
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- 徳治の碑
- (釜石市指定有形文化財)
- 鎌倉時代の末期、徳治3(1308)年に作られた碑。昭和2年、十六世・雲山午朗和尚が現在の青葉児童公園山裾から発掘。梵字でキリークと刻まれており、阿弥陀如来を意味しています。
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- 聖観音像
- (釜石市指定有形文化財)
- 釜石の人・鈴木治兵衞直利が、享保10(1725)年に石応禅寺に奉納。連座には奥州66ヵ所の寺院名と住職名が刻まれており、当時の寺院を知ることのできる貴重な資料でもあります。
- 天女群舞百態絵
- 本堂の大間格天井に施された彩色絵。仏教の世界観を描いた曼荼羅を、美しく舞う天女の姿で表現しています。平成7年完成。
- 本堂天井画
- 季節の花々を描いた、菊池華蕉の作。昭和12年完成。
- 賓頭慮尊者像
- 十六羅漢の一人で、病人が自分の患部と同じ部分を撫でると治ると信じられており、撫仏(なでぼとけ)とも呼ばれます。本堂に安置されています。高村東雲作。
- アクセスマップ
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- 明峰山石応禅寺(曹洞宗)
- 岩手県釜石市大只越町1-1-1
- TEL.0193-22-4080
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